脳梗塞で倒れる50代
1965年の1月生まれの有名人にお笑い芸人・爆笑問題の田中裕二がいます。
[Publisher] 朝日新聞デジタル[&M]より転載
1965年1月10日生まれの50代、お笑い界でもバリバリの現役世代。
その彼が突然、2021年1月20日に前大脳動脈瘤解離によるくも膜下出血・脳梗塞で緊急搬送されました
搬送される数時間前までは普通に仕事をこなしており、帰宅後に頭が痛いと訴えたために妻の山口もえが119番通報したとのこと。
そのまえにはコロナ感染でも話題になったために、「コロナが原因?」とも話題になってましたね。
当時、田中裕二は56歳。同い年の男性ゆえに他人事ではなかった。
幸い1月27日に退院、翌月には仕事に復帰出来たので一安心でした。
頭の痛さはよくいわれる殴られるような、というのは、そこまではないけれど、急にぐにゃんという感じ
と復帰した際に番組で語っていました。
高血圧が脳梗塞の原因?
中高年になると血圧を気にする人も多くなる。
大概は会社の健康診断で指摘され改善の指導を受けたりで意識するが、気にしない人も多いと思う
高血圧はあまり自覚症状が無い病として知られており自覚症状が無い故に発見が遅れることも多々ある病と言われている
怖いのは症状がないまま病気が進行し様々な合併症を引き起こすこと
よくいわれるのは動脈硬化を引き起こすこと。
動脈硬化が進行すれば命に関わる重大な病に発展。
これは即命を失う危険があり大変怖いリスクです。
この高血圧が脳内で発症すれば脳出血や脳梗塞を引き起こすと言われてる。
これは心臓と同様に命に関わる怖い病。
もし、仮に助かったとしても身体の麻痺など重大な後遺症を残す可能性が高いことでも知られていますね。
搬送中の救急車の中で軽い麻痺も起こっていたという田中裕二。
以前より血圧がそんなに高くなかったが、病気の後は発予防のため毎日朝晩血圧を測るようになったようです
僕とくじらと校庭で
小学校時代、勉強嫌いな子には苦痛に感じた授業
クリアした後の最大の楽しみは学校給食
私が過ごした頃の学校給食にはお肉の料理はあまり出てこなかった。
かわりにみんなのテンションを上げてくれたのがくじら肉のメニュー
とくにくじらの竜田揚げ
ひと口大の食べやすい大きさに鯨肉を切り下味をつけた後に片栗粉をまぶして油で揚げる素朴な料理。
聞くところによると和歌山県の郷土料理とのこと。
日本で捕鯨が始まったのはの江戸時代の和歌山県らしいので鯨料理推しも納得です。
戦後において肉が一般家庭に普通に流通するまで人々の生活に必要なタンパク源として日本人を支えてきたくじら。
給食においても未来を背負う子供たちの成長を願う思いでメニューに出されていたと大人になって聞かされ感心したものです。
学校給食はいつからはじまった?
※画像 写真提供/(独)日本スポーツ振興センター
農林水産省HPによると学校給食には子供たちに「食」に関する正しい知識・習慣を身に付ける目的があるようです
ではいつからはじまったのか?
その起源は明治時代まで遡るようです
1889(明治22)年、山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の大督寺というお寺の中に建てられた私立忠愛小学校で生活が苦しい家庭の子どもに無償で昼食を用意したことが、日本における学校給食の起源とされています。その後、1923(大正12)年には児童の栄養改善のための方法として国から奨励されるなど徐々に広まりを見せていった
農水省HP:https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2006/food01.htmlより
実はくじらの給食苦手だった
実は個人的には給食で出るくじらメニューは苦手でした
コロコロとして固い肉は噛んでも噛んでも柔らかくならず、いまの牛や鶏肉と比べてもジューシー感に欠け不味かった記憶があります
何より給食のお皿にのったくじら肉は安っぽく感じられた
しかし、いまや鯨は高級料理
戦後になって世界各国での捕鯨禁止の風潮はくじら料理を貴重なものに変えた。
大阪にある日本で一番古いおでん屋さんとして有名なたこ梅
ここのおでんメニューで一番高いのがひげ鯨の舌のおでん
なんと一串900円!
たこ梅の創業者が味に惚れおでんの種としたようです
たこ梅HP:https://takoume.jp/category/odenより