僕とくじらと校庭で
小学校時代、勉強嫌いな子には苦痛に感じた授業
クリアした後の最大の楽しみは学校給食
私が過ごした頃の学校給食にはお肉の料理はあまり出てこなかった。
かわりにみんなのテンションを上げてくれたのがくじら肉のメニュー
とくにくじらの竜田揚げ
ひと口大の食べやすい大きさに鯨肉を切り下味をつけた後に片栗粉をまぶして油で揚げる素朴な料理。
聞くところによると和歌山県の郷土料理とのこと。
日本で捕鯨が始まったのはの江戸時代の和歌山県らしいので鯨料理推しも納得です。
戦後において肉が一般家庭に普通に流通するまで人々の生活に必要なタンパク源として日本人を支えてきたくじら。
給食においても未来を背負う子供たちの成長を願う思いでメニューに出されていたと大人になって聞かされ感心したものです。
学校給食はいつからはじまった?
※画像 写真提供/(独)日本スポーツ振興センター
農林水産省HPによると学校給食には子供たちに「食」に関する正しい知識・習慣を身に付ける目的があるようです
ではいつからはじまったのか?
その起源は明治時代まで遡るようです
1889(明治22)年、山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の大督寺というお寺の中に建てられた私立忠愛小学校で生活が苦しい家庭の子どもに無償で昼食を用意したことが、日本における学校給食の起源とされています。その後、1923(大正12)年には児童の栄養改善のための方法として国から奨励されるなど徐々に広まりを見せていった
農水省HP:https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2006/food01.htmlより
実はくじらの給食苦手だった
実は個人的には給食で出るくじらメニューは苦手でした
コロコロとして固い肉は噛んでも噛んでも柔らかくならず、いまの牛や鶏肉と比べてもジューシー感に欠け不味かった記憶があります
何より給食のお皿にのったくじら肉は安っぽく感じられた
しかし、いまや鯨は高級料理
戦後になって世界各国での捕鯨禁止の風潮はくじら料理を貴重なものに変えた。
大阪にある日本で一番古いおでん屋さんとして有名なたこ梅
ここのおでんメニューで一番高いのがひげ鯨の舌のおでん
なんと一串900円!
たこ梅の創業者が味に惚れおでんの種としたようです
たこ梅HP:https://takoume.jp/category/odenより